梓は僕が好き。
 よく分からない、黒々した感覚。安心感のない、かけらだけの知らない痺れるような感情に、僕は涙が止まらなかった。梓が僕に触れる度、僕を絶頂へと運ぶ度、僕の頭はとろけた。知らないものは怖い。ああ、誰か誰か。助けてください。
 「ゆーいちろーさん」
 「どうしたんだい、憂」
 梓とまじわってから、優一郎さんがただのおじさんに見えるのは何故だろうか。いつもと同じ笑みに、いつもと同じ手付き、いつもと同じ声、いつもと同じ腰使い。それを僕は確かに好きだったはずなのに、ただ快楽だけを楽しんでいる。
 「僕おかしいんだ」
 「そうだね、最近の憂はおかしい」
 ぞくりとした。背筋になめくじが通るような、そんな感じ。優一郎さんは生温い、ふんわりとした笑みを浮かべているというのに優しく無い。優一郎さんが遠くて遠くて、ただ細い恐怖だけを覚える。形だけは弧を描いた目とくちびる。そ、と触れようとした手首を、その逞しい手が掴む。
 「人間になってしまった」
 「にんげん?」
 「そう。憂は透明だった」
 「いまは?」
 「黒色」
 「くろ……」
 「良く言えば天使、悪く言えば悪魔だったね」
 「ちがうよ」
 「憂は私を疑うのかい?」
 「そういうわけじゃ」
 「私はね、以前の憂が好きだった。繋ぎ止められないペットみたいにふわふわしていて、瞳は常に虚ろで、自分を埋めることに必死で。誰にも満足させて貰えない哀れな小鳥」
 「いまは、」
 「いらないよ」
 にこりと笑う優一郎さんは、僕を膝からベッドへと下ろすと、どこかへ出て行ってしまった。追いかけようとして、僕の格好に気付く。シーツを纏うだけの実質裸。
 きっとずっと待っていれば、いつかは帰ってくるだろう。それが数分後か、はたまた数日後か僕には分からないけれど、僕は待っているつもりなんかなかった。だってもう、ここにいる理由がないのだ。僕は優一郎さんに捨てられた。優一郎さんにいつまでも縋り付くなんてことはもう出来ない。
 分からないままに僕を放り出した、ひどいひどい優一郎さん。僕は確かに心臓が動く人間で、天使でも悪魔でもないんです。ペットと言ってもあんまり違わない関係だったけれど、それでも僕は繋ぎ止められたことはなかったよね。ひんやりとした熱さが僕を焼く。じんわりと目が熱くなる。ぽろりと涙が跳び出てきたら、もうそれは止まらなかった。
 優一郎さん、優一郎さん。僕は悪い子になってしまったんだろうか。優しい優一郎さんが僕を捨ててしまうほど、僕は悪いことをしてしまったんだろうか。分からない。分からないよ。けどね優一郎さん、これだけは分かるよ。優一郎さんの愛してると、梓の愛してるはどこか違うの。寂しいくらいに優一郎さんは、僕を包むように何かを見ていたから。

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