今日美徳は俺より早く家を出た。そして昨日は俺が美徳より早く出た。美徳はいつも俺が朝出る時間に合わせて行動する。そしてそれが良い意味であればいいと何回願ったことだろうか。
 「……弟が好きな兄としては切ないんだが」
 「そういう時期なんじゃない? それにあの子、どこか冷めた態度だし、あれが普通なんでしょう」
 母が俺を宥めるように言う。
 「……それならいいんだけどなあ」
 俺は、美徳が俺に対して抱いている感情を知っている。

 あれだけ嫌悪されれば気付くというものだ。昔から一緒にいる仲なら尚更。そしてその原因が少なからず俺だということも悟っている。俺からすれば美徳の方が可愛かったり可愛かったり可愛かったりするところが魅力的なのだが、誰しも自分の魅力には鈍いというものだ。本来なら美徳の俺に対する感情は逆恨みとなるのだろうが、俺としては美徳の感情をそう捨て切れない。どういう感情を抱かれようとも、こっちからすると可愛い弟である。
 「副会長、お疲れですか?」
 「いや……今日はこれで仕事終わり?」
 「いえ、まだ生徒会便りと日誌があります」
 「誰も読まねぇっつうのになあ」
 書記の河内とくだらない話をする。外はもう橙に染まっていて、濃い光を生徒会室中に差し込めている。会長と会計ともう一人の書記は学校の見回りに行っていて不在。二人でこの仕事をやり切るのは辛くはないが、少し時間が掛かりそうだと腕時計に目を遣る。
 「何か用事でも? 先程から時間を気にしていらっしゃるようですが……もし用事があるのでしたら、僕で仕事終わらせますよ」
 「いや、それはさすがに無理だろ。それに、用事なんて無ぇし大丈夫だよ」
 「でも、副会長はたまにさぼることはありますがいつも仕事を真面目になさっています。今日くらいはいいですよ」
 「いやいや、こんな時間だし二人でやった方が早い。それにも先輩として顔が立たねぇだろ」
 こくこく、と大袈裟に頷き何とか河内を説得させる。河内は渋々といった感じで引き下がった。
 「それにしても寒いな。暖房は?」
   「先生がいらっしゃらないのでつけられないんですよね……。さすがに高校生なので1人で暖房くらいつけられるんですが」
 「まったくだ」
 ぶるりと震えた体を温めるように腕を組む。しかし勿論寒さは変わらない。寒さに耐えながら、さっそくと言う風に日誌を手に取る。その様子を見て、河内も生徒会便りの紙を手に取った。
 「……あのさあ、河内」
 「何でしょう?」
 「俺の弟知ってる?」
 「ああ、美徳ですか。仲良くさせていただいています」
 「そういえば同じクラスだったっけ」
 「ええ。友達だと思っているんですが……」
 「あー、アイツとあんまり話しねぇから、アイツの学校生活なんて何も知らねぇんだ」
 思わず言ってしまった言葉に、河内が固まる。河内は訊き難そうに苦い顔を浮かべながら、それでもはっきりとこう訊いた。
 「仲、あまり良ろしくないんですか?」
 「あまりっつーか全然? まあ難しい年頃だしなぁ」
 「でも、副会長は素敵なお方です。美徳を悪く言うつもりはありませんが、どうして仲が悪いのか全く分かりませんが……?」
 「そこ、なんだよなあ」
 ビシ、と持っていたボールペンで河内を指す。河内は眉を顰め、言葉通り不可解そうな顔をした。
 「俺から振っといて何だけど、この話は終わりにしようぜ。今は生徒会の仕事を片付けないと帰れないし、な」
 「はい。それにしても会長達、遅いですね。何かあったんでしょうか」
 「見回りとか言ってさぼってんじゃねーの?」
 「その可能性もありますね」
 くすくす、と控えめに河内が笑う。俺はその様子を眺めながら、さっそく日誌に書きつけた。

 「ただいまァ」
 伸びた挨拶を玄関で済ませ、決まったルートのように居間に向かう。薄橙の光が灯る部屋へと足を踏み入れると、そこには俺を嫌悪する弟がいた。ヘッドフォンを耳に当て、雑誌を読んでいるからか気付いた様子はない。
 「美徳、ただいま」
 美徳は数秒こちらに視線を送り、そして返事をしないまま雑誌に視線を戻した。いつも通りの態度に内心寂しくなりながらも、この空間から立ち去らないことを嬉しく思う。コートを脱ぎソファに鞄ごと投げると、ソファに座っていた美徳が少し顔を顰めた。
 「美徳」
 話し掛けても返事がない。今の状況では気付いていないのだろう。俺はソファ、というより美徳に歩み寄ると、ヘッドフォンを勢い良く外した。美徳が一瞬呆けてから、驚いた顔を浮かべる。外したヘッドフォンからは薄っすらと聴き覚えのあるトランス音楽が流れていた。いつでも思うのだが、トランスという音楽ジャンルは全てが同じに聞こえてしょうがない。
 「……何」
 「夕飯何? 母さんは?」
 「知らないよ」
 極限まで眉を顰めたような顔を浮かべながら、ヘッドフォンに手を伸ばす。しかし美徳の体制からして、四つん這いにならないと俺の手元にあるヘッドフォンには触ることすらできない。
 「いらないのか?」
 「いるけど、もういい」
 むす、と機嫌の悪い顔をするも、どうやら俺には少しも触りたくないらしい。ぽちりと、美徳がテレビをつける。ちゃんとお風呂入ってるんだけどな、なんて考えつつも、戯れが一分未満で終わってしまったことが少し寂しい。
 「美徳」
 美徳、美徳。美徳が俺を殺したいくらい憎いことも、視界に入れたくないことも、何もかも知ってる。  知らなくて良かったこと。知られたくなかった、こと。拒絶される度に、それはゆらゆらと不安定に揺れた。ぎりぎりと、自らを締め付けた。
 「美徳」
 馬鹿みたいだ。
 つまらないニュースを垂れ流すテレビから視線を外して、俺に顔を向けた美徳の唇に、奪うように俺の唇を押し付けた。

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